Archive for the ‘汎用機’ Category

モダン・コンピューティングの歴史 (続)

Thursday, November 13th, 2008


先週紹介した「モダン・コンピューティングの歴史」 (Paul E. Ceruzzi著、宇田 理・高橋 清美両氏による監訳) は、コンピューター技術の進展過程で、興味深い箇所がたくさんある。今回は、コンピューターの誕生からIBMメインフレームの成功までの部分を、重要な箇所を著書から抜粋しながら紹介する。

 

商用コンピューターのあけぼの

コンピュータの流れを遡るとエニアック(ENIAC) に到達する。このエニアックを設計したのが、プレスパー・エッカート (Presper Eckert) とジョン・モークリー (John Mauchly) である。「モダン・コンピューティングの歴史」はこのシーンから話題が展開する。本の冒頭で、ENIACより数年前に登場した計算機であるマークI  (MARC I) の設計者であるハワード・エイキン (Howard Aiken) の会話が登場する。コンピュータの需要について、「エイキンは、民間市場は絶対に大きくならないだろうし、米国ではそうした機器の需要は、せいぜい5、6台だろうと考えていた」と、コンピュータは事業にならないと考えられていたことを開示している。コンピュータが誕生した当初は、コンピューターは特殊機器であり、その応用範囲は軍事など特別な領域に限られているとの見方が優勢であった。

 

そのエニアックであるが、「エッカートとモークリーの二人は、ペンシルバニア大学の電子工学科、通称、ムーア・スクールにおいてエニアックを設計し、組み立て」、両者が「デジタル・コンピューター」の立役者となった。エニアックは第二次世界大戦中に、米国陸軍の要請で、「射撃表を計算するために」開発された。つまりエニアックは弾丸の形状や初速度を元に、着弾地点までの距離を求めるという科学技術計算に使用された。現在でいうところのナンバー・クランチングを行なう計算機として設計された。

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エニアックはその回路が19,000本の真空管で構成されていたため、不良部品の交換作業が大変であった (写真出展:University of Pennsylvania)

 

エッカートとモークリーは、その後、エニアックのプロジェクトを去り、エッカート・モークリー・コンピューター・コーポレーション(Eckert-Mauchly Computer Corporation (EMCC)) を創設した。二人はここでユニバック (UNIVAC) というコンピューターを世に出した。ユニバックとは「UNIVersal Automatic Computer」の略で、「Universalとは、科学者、エンジニア、ビジネスマンといったあらゆる人々が抱えている問題を解決できる」という意味である。つまり、エニアックのような科学技術計算だけでなく、業務処理もできる計算機という意味である。「微分方程式の計算に設計された機器の基本原理がデパートの勘定にも応用できる」と、両氏は見ていた。ここがコンピューター技術の大転換で、アメリカにおける計算機応用技術の奥の深さと柔軟性が窺える。

 

軍事産業から民生品へ

「デパートの勘定処理」を大規模に進めたのがIBMである。IBMはもともと「パンチカード・システム」を民間企業に販売して、これを使って販売管理などの処理を機械化していた。「販売取引に関わる情報がひとつひとつのカードに記録され、別のパンチカードで、カウントされ、ソートされ、製表され、印字された」。つまりアメリカの大企業は、コンピューターが登場する前には、パンチカードに売り上げ情報を記録して、業務の集計を行なっていた。IBMは「儲け頭のパンチカード・システムのラインに、高価で複雑なコンピューターをどうフィットさせてよいのか分からなかった」が、エニアックやユニバックの登場で、顧客からの圧力により、コンピューター事業に足を踏み入れることになる。つまりコンピューターの利用者側である大企業が、事務作業を効率化するためのツールを探していた。IBMは顧客からの強い要請に対応するために、コンピューター事業に進出したことになる。顧客側に、事務処理について、明確な考え方が存在していたことが窺える。

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パンチカードシステムから電子計算機への橋渡しとなったIBM 701 (写真出展: IBM)

 

米国コンピューター産業の構図

再び、なぜアメリカでコンピューターが生まれ発展してきたのか。第一章「商用コンピューターのあけぼの」に、その答えの原型が示されている。戦時において、米国陸軍の要請でコンピューターが開発され誕生した。エニアックで微分方程式を解いて、弾道計算を行なった。戦争に勝つためにはコンピューターは必須の道具であった。軍事目的で誕生したコンピューターが、次には、「デパートで商品のソート処理」に応用される。コンピューターは「アバディーン試験場で弾道計算を行なう」だけでなく、「メトロポリタン保険会社で保険証書の更新処理」にその適用分野が広まった。

 

アメリカでのコンピューター発展を振り返ると、その基礎技術は軍事目的で開発され、それが民生品に応用されていく。コンピューターの歴史では、このループが幾度か繰り返されるが、その源流をこの章に見ることができる。このサイクルでコンピューター技術がうまく進化したのは、軍事目的に開発された基礎技術を、民生用にうまく応用できたためである。アメリカ人は基礎技術を応用して、問題を解決する能力が非常に高いことが示されている。ここは、先週紹介したように、アメリカ人は応用問題の解決能力に秀でており、日本のIT産業が学ぶべき点である。

 

今回のポイントは、利用者側である企業に、コンピューターにたいする明確な思想が存在していた点である。日本でも企業の事務作業効率化の要求はあるが、アメリカではこの要求の度合いが桁違いに大きい。アメリカ企業は、売り上げ処理のような単純作業は機械化して、人間はもっと創造的な仕事に従事すべきだという強い信念があり、いまも脈々と続いている。パンチカードから、コンピューターが登場したのは、このような強い要請に応えるためである。日本市場では、機械化による過度な便利さに抵抗感を覚えるが、アメリカ市場では機械化を極限まで追い求める。コンピューターを受け入れる土壌が、日米間で大きく異なるという事実が興味深い点であると同時に、日本市場においては、日本文化に沿ったコンピューターの使い方が求められていることを再認識した。

 

まとめ

日本はアメリカと同程度の、コンピューター基礎技術を持ちながら、日米両国でコンピューター産業は異なる道を歩み始めている。アメリカで新技術が誕生するのは素晴らしいが、それ以上に、その技術で社会の問題を解決する能力はもっと素晴らしい。日本のコンピューター産業で欠けているのは、この応用問題を解決する能力であり、ここを強化することで、日本のコンピューター産業は大きく飛躍する可能性を秘めている。「モダン・コンピューティングの歴史」は、日本人向けに書かれた訳ではないが、日本人の視点からこの本を読むと、アメリカ人のコンピューターに対する考え方についての発見があり、また、日本のコンピューター産業にたいする教訓を読み取ることができる。

モダン・コンピューティングの歴史

Thursday, November 6th, 2008


今回は、最近読んだ本の中で感銘を受けた、「モダン・コンピューティングの歴史」という本を紹介する。この本は「A History of Modern Computing」という原著を、日本大学商学部の宇田理准教授が中心となって監訳されたものである。原著はポール・E・セルージ (Paul E. Ceruzzi) という、スミソニアン航空宇宙博物館のキュレーター (専門職員) により執筆されたもので、米国におけるコンピューティングの歴史を綴ったものである。
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(写真出展:amazon.co.jp) 

 

コンピューター技術進化の概略は把握していたつもりであったが、「モダン・コンピューティングの歴史」を読んで、多くの発見や驚きがあった。この本は、題名の通り、「コンピューターの歴史」ではなく、「コンピューティングの歴史」である。コンピューター技術の発展を記録した本はたくさんあるが、この本はそれだけではなく、なぜその技術が生まれたのか、その技術の誕生は何を意味するのかまで掘り下げて考察している。また、日本からなかなか理解しにくい部分である、アメリカでコンピューターがどう使われたのかを分析することで、コンピューターが築いた文化を紐解いている。

 

点から腺に

コンピューター業界で仕事をしていると、数多くの専門用語を、無意識のうちに使用している。この本はこれらの専門用語を解説してくれているだけでなく、それらがどういう理由で登場し、どう関連しあっているかを教えてくれる。いままで無秩序に存在していた言葉が、この本を読むと、網の目のようにつながり有機体を構成する。点が腺となりコンピューティングの全体像が浮かんでくる。この本の翻訳は、たんに英語を日本語に置き換えるだけの操作ではなく、日本語としても大変読みやすく、かつ、おしゃれな雰囲気で読者を惹きつける。原文で読んでも難しいであろうコンピューター専門用語を、読者に分かりやすい形で提示している。コンピューターの全貌を理解するうえで大変貴重な文献である。

 

エニアックからインターネットまで

この本は、エニアック(ENIAC)という真空管を使ったコンピューターから現在のインターネットまでを幅広くカバーしている。大型コンピューターではIBM システム/360開発の歴史やIBM互換機が登場する経緯が詳しく述べられている。この本は、多くのページをミニコンピューターの登場と、発展と、衰退に充てている。日本市場では馴染みの薄かった、ミニコンが登場した意味や、これらがパソコンの発展につながっていく様子が描かれている箇所は、とりわけ驚きの連続であった。

 

ミニコンが生まれた理由

DECのミニコンであるPDP-812ビット・マシンで、7ビットでアドレシングを行い、アドレス空間は128ワードという小さなものであった。このハンディキャップを克服するために、DECは「インダイレクト・アドレシング」や「ページ」という方式を取り入れた。これにより、「処理スピードにおいてきわめて高額のメインフレームに肩を並べるほどであった」、とミニコンが大きな市場を形成した要因を端的に表している。この本が際立っているのは、ミニコンがメインフレームと肩を並べた技術的背景だけでなく、アメリカ社会のメンタルな要因を説明しているためである。「DECはコンピューターを人々に開放するといった新世代の旗手であり、IBMは服装規制やパンチカードに見られるように、悪しき官僚主義の代名詞だった」。IBMというクローズドな世界に対して、DECはマシンの仕様を公開して、今の言葉で言うところのエコシステムを構築して発展した。DECのミニコン上でUNIXが開発され、DECはオープンな世界を提供した。アメリカ社会では、既成勢力にたいして、自由を求める多くのエンジニアがミニコンを支持していた。ミニコンがアメリカで幅広く受け入れられた背景には、技術的要因だけではなく、それを利用する人々の心情も大きく関与していたことを、この本は教えてくれた。

 

ミニコンからパソコンに

セルージは、多くの利用者はメインフレームという誰かに管理されているコンピューターではなく、ミニコンという自分で管理できるコンピューターを欲していたと分析している。「とくにテレタイプで操作きるミニコンは、パーソナルな対話装置という概念を提起することになった」としている。メインフレームでは、利用者はパンチカードのスタックを持って、センター管理者に処理の依頼を行い、長い間待って、センター管理者からうやうやしく、ラインプリンターに打ち出された処理結果を受け取っていた。このプロセスを経験したことがある人は、センター管理者が融通のきかない役人のように思えた経験を持っているはずである。忍耐強い日本人でさえそう思うのに、アメリカ人はこれに輪をかけて苦痛であったと思われる。セルージによると、この苦しみから脱却するためにミニコンが生まれ、これがコンピューター進化の方向を示唆している。更に、「ミニコンという概念がパソコンを産み落とし、我々の文化を変え、我々の期待に応えてくれたのだった」とし、アメリカ人が目指していたのは、自分で管理できるコンピューターであると結論付けている。セルージは、モダン・コンピューティングの歴史は、「人とコンピューターの共生というヴィジョンがどのように実現したかの物語である」と結んでいる。

 

日本のモダン・コンピューティング

なぜ日本独自のコンピューター文化が誕生しないのか。この本にはこの疑問への答えが隠されている。日本人は、コンピューターのハードウェアの部分は正しく学習し、それを改良し日本で使い始めた。アメリカでは、「人とコンピューターが共生」していくなかで、利用者が抱えている問題を、いかにコンピューターで解決すべきかという、明確な目的意識が存在していた。利用者はコンピューターに何を期待しているのかという、確固たる主張があった。この本は我々に、原点に戻って、コンピューターは道具である。日本のコンピューター技術で欠落している要素は、この道具を使っていかに問題を解決するかという応用技術である、と訴えているように思える。

アーサー・ロック: シリコンバレーを築いた投資家

Friday, June 1st, 2007


シリコンバレーの新興企業は、ベンチャー・キャピタル (Venture Capital) という資金を利用して、新技術を生み出してきた。 この「ベンチャー・キャピタル」という言葉と手法を生み出したのが、アーサー・ロック (Arthur Rock) という人物であり、フェアチャイルドー (Fairchild Semiconductor) やインテル (Intel) など、多くの企業を育て上げた。コンピューター歴史博物館 (Computer History Museum) で、「歴史に名を残すベンチャー・キャピタリストであるアーサー・ロックとジョン・マーコフとの会話の夕べ」 と題する講演があり、ロック自身が語るベンチャー企業の歴史を聞いた。

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シリコンバレーの歴史を作ったベンチャー・キャピタリスト Arthur Rock (出展:Harvard Business School)

フェアチャイルド・セミコンダクター

ロックはベンチャー・キャピタリストの草分けであり、1926年にニューヨーク州ロチェスター (Rochester) に生まれた。ロックがこの道を進む切欠となったのが、フェアチャイルド・セミコンダクターとの関わりである。 ロックはハーバード・ビジネス・スクール卒業後、ウォール街のヘイデン・ストーン社 (Hayden Stone & Co.) で証券アナリストとして働いていた。ロックは講演の中で、自身がフェアチャイルドに手を染めるようになった経緯を、「ユージーン・クライナー (Eugene Kleiner) の父親がヘイデン・ストーン社に手紙を出した」ことに端を発したと説明した。クライナーという人物は、ノーベル物理学賞を受賞したウイリアム・ショックレー (William Shockley) 率いるショックレ半導体研究所 (Shockley Semiconductor Laboratories)にいたが、「仕事に大きな不満を抱えており、仲間と新会社設立を計画」していた。

この新会社が後のフェアチャイルド・セミコンダクターであり、クライナーを含む会社設立の8人は、ショックレーから「八人の裏切り者 (Traitorous Eight) と呼ばれ歴史に名を刻んでいる。この新会社設立の資金を募ったのがロックで、フェアチャイルド・カメラ&インスツルメント (Fairchild Camera and Instrument) 150万ドルの資金を提供した。 そして1957年、パロアルトで、フェアチャイルド・セミコンダクターが事業を開始した。投資家のシャーマン・フェアチャイルドは (Sherman Fairchild)は、父親の遺産を相続し、IBMの筆頭株主であり、航空写真など多くの事業に投資をしていた。フェアチャイルド・セミコンダクターで、シリコン集積回路という革新的な事業が立ち上がり、ロックはベンチャー・キャピタリストとして名を知られるようになった。

ベンチャーキャピタリストとして出発

ロックはその後1960年に設立されたTeledyne (テレダイン) への投資に関わった。技術企業の集合体であるテレダインは、ロックの投資から歴史が始まった。これを契機に、ロックは1961年にサンフランシスコに移り、ここでトーマス・デービス (Thomas Davis)と「デービス&ロック (Davis & Rock)」投資会社を設立した。 サンフランシスコに事業拠点を移した後、ロックは、マックス・パレブスキー (Max Palevsky) により設立されたサイエンティフィック・データ・システムズ (Scientific Data Systems: SDS)に投資を行った。 SDSは科学技術計算を専門とするコンピューター企業で、その後、ゼロックス (Xerox) に高値で買収されることになる。 ロックは買収後その理由を知ることになり、「当時IBMはコピー事業に参入することを目論んでおり、ゼロックスはこの対抗策として、コンピューター事業に進出するためにSDSを買収した」とディールの真相を説明した。ゼロックスはSDSを、科学技術計算から、IBM対抗のビジネス計算事業に、方向転換を図ったがうまくいかず、この事業は失敗に終わった。

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Traitorous Eight」; KleinerRockとの出会いの切欠を作る。Noyceが集積回路を考案。Mooreがムーアの法則を提唱。 (出展:Fairchild Semiconductor)

インテルからアップルに投資

1968年には、ロバート・ノイス (Robert Noyce)、ゴードン・ムーア (Gordon Moore)、アンディー・グローブ (Andy Grove) が、インテルを創設する。このときの資金調達にロックが指名され、半日で250万ドルを募ったことが、ベンチャー・キャピタル界での武勇伝となっている。ロックによると、「資金調達のため準備したのは、二ページにダブルスペースでタイプした資料」だけであったとの説明を聞いて、会場から一斉に笑いと拍手が起こった。ロックの先見性に多くの投資家が信頼を置き、大量の資金が集まる状況であった。時代は進み、1978年に、ロックはアップルに投資をしているが、そのときは様子が違い、ロックは「スティーブ・ジョブズ (Steve Jobs) に会った時、アップルの将来性はない」と判断したと述べた。ジョブズには「惹かれるところはなかった」と語り、ロックが育ててきた企業の世代交代が進んでいることを現している。しかしそれでもアップルに投資したのは、「サンノゼで開かれたホームブリュー・コンピューター展示会 (Homebrew Computer Show)で、アップル・ブースが黒山の人だかりであったため」と説明した。時代は急速に新しい世代に移りつつある。

投資の判断は何か

今回の講演で一番惹かれた点は、ロックがシリコンバレーを形作ったベンチャー企業の生い立ちを披露する点ではなく、ロックがベンチャー企業とどういう姿勢で向かい合ってきたかという点である。つまり、ロックがベンチャー・キャピタリストとして活躍する背後にある、ロックの思想や投資への考え方である。講演会進行役のジョン・マーコフ (John Markoff) がロックに、「投資する際の決めては何か」と質問し、それに対しロックは、「自分は技術屋ではないので技術のことは分からない。その代わり、人物を見て投資を決定する」と説明した。この発言にロックの思想が凝縮している。

ロックの説明は続き、人物のどこを見て判断するのかというと、「技術的に誠実であること (Technically Honest)」と述べた。これはどういう意味かというと、起業家は「技術をありのままに理解する必要がある」としている。「市場での技術を正確に把握し」、さらに、「自分が開発している技術を過大評価することなく、冷静に評価できる能力が必要である」と述べている。技術者が開発している製品にほれ込むことは大切だが、盲目になるのではなく、「問題点を冷静に掴み、それを解決していく能力が必要である」としている。

さらに、ロックは、「戦略は戦術に必ず負ける」を持論にしている。起業家にとっては、アイディアや事業戦略は必要であるが、最後に必要なことは、目の前にある問題を早く解決する戦術である。米国社会では、ビジネス・スクールで企業戦略を教え込まれるが、大企業と異なりベンチャー企業では、毎日生きるか死ぬかの境界線上にあり、これを切り抜けて成長するため、「今日の問題を如何に解決するかという即効性が重要である」としている。

新技術かキャピタルゲインか

マーコフの「インターネットバブルをどう評価するか」という質問に対し、ロックは「投資家は事業を育てるために存在する」と、彼の信念を述べた。ロックが新興企業に投資をするのは、キャピタル・ゲインを得ることが目的であるが、最終的なゴールは「若い企業を成長させるための手助けをすることである」と述べた。これは、新興企業の経営者にも当てはまり、ロックの投資判断の重要な要素となる。だれもが金持ちになりたくて事業を起こすが、究極の目的が、新しいものを生み出すことであるのか、キャピタル・ゲインであるのかで大きく異なる。新興企業の経営者が、独自の技術で新製品を創り出すことに喜びを感じているか、事業成功による報酬に幸せを感じるのかで、企業の舵取りも異なってくる。ロックによると、「投資対象に選ぶ経営者は必ず前者のタイプであり、キャピタル・ゲインを目指す経営者には決して投資しない」と説明した。

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講演会会場のComputer History MuseumSilicon Graphicsの元本社ビルが博物館に生まれ変わった。ここで著名人によるLectureが行われていることを教えてもらい参加。 (出展:Google Maps StreetView)

人の能力に投資

インターネット・バブル期には後者のタイプの経営者が、金銭的なリターンを目指してベンチャー企業を起こしてきた。そしてバブルがはじけた。ロックの講演を聞いて、歴史を変える技術が生まれるのは、芸術家が偉大な作品を発表するのに似ていると感じた。ベンチャー企業で革新的な技術が登場し、製品になるのは、その技術にのめり込んで、寝食を忘れて開発に没頭する姿が浮かび上がる。この人間に秘められたパワーが全開し、幸運が重なって、ベンチャー企業として成功する。キャピタル・ゲインを目的とした中途半端な根性では、世の中を変える新技術は生まれない。ロックの信念である、「投資対象は技術ではなく人である」という言葉は、ハイテク産業の地シリコンバレーでは意外な感があるが、人間に秘められた大きな能力に期待していることを示している。ロックの講演から、ベンチャー・キャピタル投資だけに留まらない、普遍的な教訓を教わり、イノベーションの源泉を垣間見た。

コンピュータの未来を予測する

Friday, March 2nd, 2007


米国セキュリティ業界最大のカンファレンスであるRSA  Conference 2007がサンフランシスコのMoscone Center (マスコーニ・センター)で開催された。基調講演にはマイクロソフト会長のBill Gates (ビル・ゲイツ)、オラクル会長のLarry Ellison(ラリー・エリソン)、また、元米国国務省長官のColin Powell(コリン・パウエル)など著名人が名前を連ね、メディアも注目するカンファレンスとなった。オラクルはセキュリティ企業を買収し、新戦略を発表するのではとの噂もあったが、Ellisonは基調講演を欠席するというハプニングがあった。マスコミの話題には上らなかったが、私が一番期待していた基調講演は、Ray Kurzweil(レイ・カーツワイル)の「Singularity」(特異点)で、その期待は裏切られなかった。

 

Ray Kurzweilが示す未来

Kurzweilは米国を代表する研究者で、ITを中心にテクノロジーの未来を予測する未来学の研究に従事している。Kurzweilの手法は、正確な技術に元ずく精度の高い未来予想ということで高い評価を受けている。一方で、Kurzweilは「現代版の旧約聖書預言者」と揶揄されることもあり、評価は分かれている。Kurzweilは視覚障害者のためにテキストを音声に変換する装置を開発している。最近は、遺伝子工学(Genetics)、ナノテクノロジ(Nanotechnology)、及びロボット工学(Robotics)の研究に従事し、これら「GNR技術」がもたらす恩恵とともに、その危険性について啓蒙活動を行っている。Kurzweilは「The Singularity is Near」(特異点はすぐ近く)という本で、人類は2045年までに特異点に到達すると予測しマスコミの話題となった。特異点とは、科学技術進化の速度が指数関数的に増加するため、「人類の歴史というネットが破れる点」を表している。

 

Ray Kurzweilの基調講演

Kurzweilは「Singularity」(特異点)というタイトルで基調講演を行った。Kurzweilはインターネットの爆発的な広がりを例に技術進化の特性を説明した。WWWが登場して以来、インターネット利用者人口は急増した。今まで静かであったインターネットが、ある日突然利用者人口が急増する現象が、技術進化の代表的なパターンであると説明した。この現象をインターネット人口と時間軸でプロットすると、1980年代はインターネット人口がほぼ横ばいで推移していたが、1990年代の後半から、急速に立ち上がるというカーブを描く。しかしインターネット人口の対数を取りグラフを描くと、下のグラフの通り、インターネット人口はほぼ直線に乗ることが分かる。

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対数軸ではインターネット人口の増加は直線的  (出展:Raymond Kurzweil)

 

ムーアの法則

Kurzweilは、「人間の目からするとインターネット人口がある日突然急増する現象も縦軸を対数で表示すると直線的な増加を示す」と説明している。この現象は一般的にムーアの法則(Moore’s Law)と呼ばれており、IT業界では余りにも有名である。ムーアの法則とはICチップの中でトランジスターの大きさが指数関数的に縮小する現象を示す。インテル会長であったゴードン・ムーア(Gordon Moore)が、ICチップの中のトランジスターの数は二年ごとに倍増することを発表し、この現象はムーアの法則と呼ばれるようになった。「今ではトランジスターの数は一年ごとに倍増しているが、ムーアの法則が示すところは、コンピュータ技術は指数関数的に進化するということである」と説明した。

 

Kurzweilは基調講演の中で、「コンピュータ技術の進化において、ムーアの法則は第五世代の技術進化を表現したもの」であり、「コンピュータが誕生した当初からこの法則が観測される」と説明した。第一世代はパンチカードで、「1890年に米国国勢調査の集計に使われ」有名になった。第二世代はリレー(継電器)で、「第二次世界大戦下、ナチスドイツのEnigma(エニグマ)という暗号化装置で作られた暗号を解読した」ことで注目を集めた。第三世代は真空管で、「米国CBS放送が大統領選挙でいち早くアイゼンハワー(Eisenhower)の当選を予測し」、コンピュータ・パワーが社会で認識される切欠となった。第四世代はトランジスターで、米国の「人工衛星打ち上げで使われ」、そして現行世代であるICチップへと続く。

 

第六世代のコンピュータへ

Kurzweilは、「各世代でコンピュータ技術が指数関数的に進化し、ムーアの法則が適用できる」とし、更に、「それぞれの世代で技術進化が壁に当たり進化が止まる」としている。歴史を振り返ると、ある技術が飽和すると、「パラダイムシフトが起こり、新技術が登場してきた」と説明した。Kurzweilは、「現在のICチップは、2019年には壁にあたり成長が止まる」と予測している。ICチップはトランジスターの大きさが指数関数的に縮小しているが、「トランジスターが原子の大きさレベルに到達すると、ここで技術進化は停止しする」と説明した。Kurzweilによると、ここで「パラダイムシフトが起こり、第六世代のコンピュータに向かう」としている。

 

Kurzweilは、「次世代のコンピュータは、三次元構造になる」と予測している。「人間の脳が三次元構造をしているように、コンピュータのプロセッサも三次元構造となり、カーボン・ナノチューブ(Carbon Nanotube)のような炭素原子が円筒の網目状に繋がった構造になる」と予測している。そのほかの候補技術としては三次元のシリコンチップ、光学コンピュータ(Optical Computing)、DNAコンピュータ、量子コンピュータ(Quantum Computer)などを挙げている。

 

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カーボンナノチューブの構成  (出展:Wikipedia)

 

Kurzweilによると「人間の脳は1,000億個のニューロンからなり、一つのニューロンは1,000個の接点を持ち、ここで毎秒200回の計算が行われている」と説明した。更に、「2023年頃には人間の頭脳に匹敵する性能のコンピュータが千ドルで手に入るようになり、2045年ころには特異点到達する」と予測している。目の前の技術を深く掘り下げることは必要不可欠であるが、時には、マクロなスケールでコンピュータを俯瞰することも必須である。講演が終わると会場の全員が立ち上がり、しばらく拍手が鳴り止まなかった。