Archive for November, 2008

モダン・コンピューティングの歴史 (続)

Thursday, November 13th, 2008


先週紹介した「モダン・コンピューティングの歴史」 (Paul E. Ceruzzi著、宇田 理・高橋 清美両氏による監訳) は、コンピューター技術の進展過程で、興味深い箇所がたくさんある。今回は、コンピューターの誕生からIBMメインフレームの成功までの部分を、重要な箇所を著書から抜粋しながら紹介する。

 

商用コンピューターのあけぼの

コンピュータの流れを遡るとエニアック(ENIAC) に到達する。このエニアックを設計したのが、プレスパー・エッカート (Presper Eckert) とジョン・モークリー (John Mauchly) である。「モダン・コンピューティングの歴史」はこのシーンから話題が展開する。本の冒頭で、ENIACより数年前に登場した計算機であるマークI  (MARC I) の設計者であるハワード・エイキン (Howard Aiken) の会話が登場する。コンピュータの需要について、「エイキンは、民間市場は絶対に大きくならないだろうし、米国ではそうした機器の需要は、せいぜい5、6台だろうと考えていた」と、コンピュータは事業にならないと考えられていたことを開示している。コンピュータが誕生した当初は、コンピューターは特殊機器であり、その応用範囲は軍事など特別な領域に限られているとの見方が優勢であった。

 

そのエニアックであるが、「エッカートとモークリーの二人は、ペンシルバニア大学の電子工学科、通称、ムーア・スクールにおいてエニアックを設計し、組み立て」、両者が「デジタル・コンピューター」の立役者となった。エニアックは第二次世界大戦中に、米国陸軍の要請で、「射撃表を計算するために」開発された。つまりエニアックは弾丸の形状や初速度を元に、着弾地点までの距離を求めるという科学技術計算に使用された。現在でいうところのナンバー・クランチングを行なう計算機として設計された。

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エニアックはその回路が19,000本の真空管で構成されていたため、不良部品の交換作業が大変であった (写真出展:University of Pennsylvania)

 

エッカートとモークリーは、その後、エニアックのプロジェクトを去り、エッカート・モークリー・コンピューター・コーポレーション(Eckert-Mauchly Computer Corporation (EMCC)) を創設した。二人はここでユニバック (UNIVAC) というコンピューターを世に出した。ユニバックとは「UNIVersal Automatic Computer」の略で、「Universalとは、科学者、エンジニア、ビジネスマンといったあらゆる人々が抱えている問題を解決できる」という意味である。つまり、エニアックのような科学技術計算だけでなく、業務処理もできる計算機という意味である。「微分方程式の計算に設計された機器の基本原理がデパートの勘定にも応用できる」と、両氏は見ていた。ここがコンピューター技術の大転換で、アメリカにおける計算機応用技術の奥の深さと柔軟性が窺える。

 

軍事産業から民生品へ

「デパートの勘定処理」を大規模に進めたのがIBMである。IBMはもともと「パンチカード・システム」を民間企業に販売して、これを使って販売管理などの処理を機械化していた。「販売取引に関わる情報がひとつひとつのカードに記録され、別のパンチカードで、カウントされ、ソートされ、製表され、印字された」。つまりアメリカの大企業は、コンピューターが登場する前には、パンチカードに売り上げ情報を記録して、業務の集計を行なっていた。IBMは「儲け頭のパンチカード・システムのラインに、高価で複雑なコンピューターをどうフィットさせてよいのか分からなかった」が、エニアックやユニバックの登場で、顧客からの圧力により、コンピューター事業に足を踏み入れることになる。つまりコンピューターの利用者側である大企業が、事務作業を効率化するためのツールを探していた。IBMは顧客からの強い要請に対応するために、コンピューター事業に進出したことになる。顧客側に、事務処理について、明確な考え方が存在していたことが窺える。

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パンチカードシステムから電子計算機への橋渡しとなったIBM 701 (写真出展: IBM)

 

米国コンピューター産業の構図

再び、なぜアメリカでコンピューターが生まれ発展してきたのか。第一章「商用コンピューターのあけぼの」に、その答えの原型が示されている。戦時において、米国陸軍の要請でコンピューターが開発され誕生した。エニアックで微分方程式を解いて、弾道計算を行なった。戦争に勝つためにはコンピューターは必須の道具であった。軍事目的で誕生したコンピューターが、次には、「デパートで商品のソート処理」に応用される。コンピューターは「アバディーン試験場で弾道計算を行なう」だけでなく、「メトロポリタン保険会社で保険証書の更新処理」にその適用分野が広まった。

 

アメリカでのコンピューター発展を振り返ると、その基礎技術は軍事目的で開発され、それが民生品に応用されていく。コンピューターの歴史では、このループが幾度か繰り返されるが、その源流をこの章に見ることができる。このサイクルでコンピューター技術がうまく進化したのは、軍事目的に開発された基礎技術を、民生用にうまく応用できたためである。アメリカ人は基礎技術を応用して、問題を解決する能力が非常に高いことが示されている。ここは、先週紹介したように、アメリカ人は応用問題の解決能力に秀でており、日本のIT産業が学ぶべき点である。

 

今回のポイントは、利用者側である企業に、コンピューターにたいする明確な思想が存在していた点である。日本でも企業の事務作業効率化の要求はあるが、アメリカではこの要求の度合いが桁違いに大きい。アメリカ企業は、売り上げ処理のような単純作業は機械化して、人間はもっと創造的な仕事に従事すべきだという強い信念があり、いまも脈々と続いている。パンチカードから、コンピューターが登場したのは、このような強い要請に応えるためである。日本市場では、機械化による過度な便利さに抵抗感を覚えるが、アメリカ市場では機械化を極限まで追い求める。コンピューターを受け入れる土壌が、日米間で大きく異なるという事実が興味深い点であると同時に、日本市場においては、日本文化に沿ったコンピューターの使い方が求められていることを再認識した。

 

まとめ

日本はアメリカと同程度の、コンピューター基礎技術を持ちながら、日米両国でコンピューター産業は異なる道を歩み始めている。アメリカで新技術が誕生するのは素晴らしいが、それ以上に、その技術で社会の問題を解決する能力はもっと素晴らしい。日本のコンピューター産業で欠けているのは、この応用問題を解決する能力であり、ここを強化することで、日本のコンピューター産業は大きく飛躍する可能性を秘めている。「モダン・コンピューティングの歴史」は、日本人向けに書かれた訳ではないが、日本人の視点からこの本を読むと、アメリカ人のコンピューターに対する考え方についての発見があり、また、日本のコンピューター産業にたいする教訓を読み取ることができる。

モダン・コンピューティングの歴史

Thursday, November 6th, 2008


今回は、最近読んだ本の中で感銘を受けた、「モダン・コンピューティングの歴史」という本を紹介する。この本は「A History of Modern Computing」という原著を、日本大学商学部の宇田理准教授が中心となって監訳されたものである。原著はポール・E・セルージ (Paul E. Ceruzzi) という、スミソニアン航空宇宙博物館のキュレーター (専門職員) により執筆されたもので、米国におけるコンピューティングの歴史を綴ったものである。
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(写真出展:amazon.co.jp) 

 

コンピューター技術進化の概略は把握していたつもりであったが、「モダン・コンピューティングの歴史」を読んで、多くの発見や驚きがあった。この本は、題名の通り、「コンピューターの歴史」ではなく、「コンピューティングの歴史」である。コンピューター技術の発展を記録した本はたくさんあるが、この本はそれだけではなく、なぜその技術が生まれたのか、その技術の誕生は何を意味するのかまで掘り下げて考察している。また、日本からなかなか理解しにくい部分である、アメリカでコンピューターがどう使われたのかを分析することで、コンピューターが築いた文化を紐解いている。

 

点から腺に

コンピューター業界で仕事をしていると、数多くの専門用語を、無意識のうちに使用している。この本はこれらの専門用語を解説してくれているだけでなく、それらがどういう理由で登場し、どう関連しあっているかを教えてくれる。いままで無秩序に存在していた言葉が、この本を読むと、網の目のようにつながり有機体を構成する。点が腺となりコンピューティングの全体像が浮かんでくる。この本の翻訳は、たんに英語を日本語に置き換えるだけの操作ではなく、日本語としても大変読みやすく、かつ、おしゃれな雰囲気で読者を惹きつける。原文で読んでも難しいであろうコンピューター専門用語を、読者に分かりやすい形で提示している。コンピューターの全貌を理解するうえで大変貴重な文献である。

 

エニアックからインターネットまで

この本は、エニアック(ENIAC)という真空管を使ったコンピューターから現在のインターネットまでを幅広くカバーしている。大型コンピューターではIBM システム/360開発の歴史やIBM互換機が登場する経緯が詳しく述べられている。この本は、多くのページをミニコンピューターの登場と、発展と、衰退に充てている。日本市場では馴染みの薄かった、ミニコンが登場した意味や、これらがパソコンの発展につながっていく様子が描かれている箇所は、とりわけ驚きの連続であった。

 

ミニコンが生まれた理由

DECのミニコンであるPDP-812ビット・マシンで、7ビットでアドレシングを行い、アドレス空間は128ワードという小さなものであった。このハンディキャップを克服するために、DECは「インダイレクト・アドレシング」や「ページ」という方式を取り入れた。これにより、「処理スピードにおいてきわめて高額のメインフレームに肩を並べるほどであった」、とミニコンが大きな市場を形成した要因を端的に表している。この本が際立っているのは、ミニコンがメインフレームと肩を並べた技術的背景だけでなく、アメリカ社会のメンタルな要因を説明しているためである。「DECはコンピューターを人々に開放するといった新世代の旗手であり、IBMは服装規制やパンチカードに見られるように、悪しき官僚主義の代名詞だった」。IBMというクローズドな世界に対して、DECはマシンの仕様を公開して、今の言葉で言うところのエコシステムを構築して発展した。DECのミニコン上でUNIXが開発され、DECはオープンな世界を提供した。アメリカ社会では、既成勢力にたいして、自由を求める多くのエンジニアがミニコンを支持していた。ミニコンがアメリカで幅広く受け入れられた背景には、技術的要因だけではなく、それを利用する人々の心情も大きく関与していたことを、この本は教えてくれた。

 

ミニコンからパソコンに

セルージは、多くの利用者はメインフレームという誰かに管理されているコンピューターではなく、ミニコンという自分で管理できるコンピューターを欲していたと分析している。「とくにテレタイプで操作きるミニコンは、パーソナルな対話装置という概念を提起することになった」としている。メインフレームでは、利用者はパンチカードのスタックを持って、センター管理者に処理の依頼を行い、長い間待って、センター管理者からうやうやしく、ラインプリンターに打ち出された処理結果を受け取っていた。このプロセスを経験したことがある人は、センター管理者が融通のきかない役人のように思えた経験を持っているはずである。忍耐強い日本人でさえそう思うのに、アメリカ人はこれに輪をかけて苦痛であったと思われる。セルージによると、この苦しみから脱却するためにミニコンが生まれ、これがコンピューター進化の方向を示唆している。更に、「ミニコンという概念がパソコンを産み落とし、我々の文化を変え、我々の期待に応えてくれたのだった」とし、アメリカ人が目指していたのは、自分で管理できるコンピューターであると結論付けている。セルージは、モダン・コンピューティングの歴史は、「人とコンピューターの共生というヴィジョンがどのように実現したかの物語である」と結んでいる。

 

日本のモダン・コンピューティング

なぜ日本独自のコンピューター文化が誕生しないのか。この本にはこの疑問への答えが隠されている。日本人は、コンピューターのハードウェアの部分は正しく学習し、それを改良し日本で使い始めた。アメリカでは、「人とコンピューターが共生」していくなかで、利用者が抱えている問題を、いかにコンピューターで解決すべきかという、明確な目的意識が存在していた。利用者はコンピューターに何を期待しているのかという、確固たる主張があった。この本は我々に、原点に戻って、コンピューターは道具である。日本のコンピューター技術で欠落している要素は、この道具を使っていかに問題を解決するかという応用技術である、と訴えているように思える。